アジール内の「引越し」が続いたもので、ろくにPCにアクセスもせずにいましたが、やっと、机の上があいたので、アクセスして、内田樹さんのブログを読みました。
やっぱり、いいですねえ~。いつも思うのですが、内田さんのブログ記事は、本当にタイムリーな形で、私の今の生活に関わってくるのです。
「「株式会社という病」を読む」というエントリですが。内田さんのご親友の平川さんについての記事です。
>彼は心のどこかであの労働者たちを「安定した格差」の中に取り残して「国際派ビジネスマン」になってしまった>自分自身に「疚しさ」を感じている。
>もちろん、彼は少しも「疚しいこと」などしてはいない。
>けれども、「疚しさ」を感じることは止められない。
>だから、この本で彼はグローバリズムの時代の経営者の視野狭窄を論難し、「未来はバラ色」的なビジネス進化論を一蹴するけれど、「逝きし日の労働者の生活倫理へ還れ」というような対案を提示することはしない。
>そんなことは彼にはできない。
>問題はもっと複雑なのだ。
私の誤読があるかもしれませんが、この部分、私自身にも重ねて読めてしまうのです。
私は、町工場出身ではありませんが、階層的にはそれほど高くない家の出身です。だから、「安定した格差」というのがよくわかるのです。
にもかかわらず私は、平川さんのように周囲から期待されて、というわけではありませんが、大学院にまで進み、自分の親族の多くとは全く異なる生活をしています。どちらの生活の方が良いのか、もちろんその優劣はつけられないのですが、私自身も、「逝きし日の労働者の生活倫理へ還れ」と言うことはできないのです。
その意味で、こういう世界を自らのこととして体験されていない「研究者」の皆様が、労働者、農民、漁民、等々の文化に言及されるときに、どうしても落ち着かない気分になってしまうのです。
こういう階層の悲哀をご存知ですか、と。
それからもう一つ。
今、「零細企業」を経営している者として、私たちが作る会社のイメージをめぐって。
内田さんのブログはこう続いています。
>それは「町工場のおやじ」的なスタンスがどれほどビジネスシーンで有効であるかを、文字通り身体を張って論証しようとしていたことにある。
>ぼくたちの作った会社には間違いなく濃密に「町工場」的雰囲気が漂っていた。
>ぼくたちは「精度の高い廉価な商品」をてきぱきと提供することで大企業のシステムの末端にビルトインされていたけれど、生活上の慰安は売り上げの増加や賃金の上昇以外のところにあった。
>ぼくたちは革ジャンにバイクで商品のデリバリーにでかけ、終業後には連れ立って映画やコンサートに行き、休日には多摩川で野球をしたり、ツーリングに行ったり、麻雀をした。
>会社というのは、休み時間に人々が「ピンポンで歓声を上げる」ような場所でなければならない、というのがヒラカワ社長の変わることのない信念であった。
>けれども、「町工場」的エートスは会社がある程度の規模になり、ある程度の売り上げに達すると、いつのまにか消えた。
>一流大学を出て、一流のキャリアをもつ人々が入ってきて、てきぱきと仕事を片付けて、売り上げを立てて、シビアな人事考課をしているうちに会社は誰も「歓声」を上げない場所になった。
>それはぼくも見てきたからよく知っている。
>平川君は自分の作った会社が「歓声の上がらない場所」になると、急速に「やる気」をなくして、新しい会社を興して、そこに「理想の町工場」を実現しようとして・・・ということをこれまでに何度か繰り返してきた。
>それは「何度か繰り返した」という歴史的事実が示すように、成功することの困難な企てであった。
>この本を書くことに彼が困難を感じたのは、そのせいだろうとぼくは思う。
>彼は「平川精密的なもの」が国際的なスケールのビジネスにおいても汎通的に実現可能であることをこれまでも望んできたし、たぶんこれからもそれは変わらないだろう。
>それがどれほどむずかしいことか彼はもちろん熟知している。
>ぼくがこの本には「パセティック」なところがある、と書いたのはそういう意味である。
私も、「歓声の上がる場所」として、「会社」を作っていきたい、と思うのです。
でもそれは、ヒラカワさんでも困難な企てであるくらいですから、私にとっても、本当に難しいのです。
それでも、私も繰り返していきたいと思うのです。
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