皆さんこんにちは。
今日はスタッフSさんの出勤日。季節にふさわしい手作りグッズをお持ちくださって、ちょっとおしゃべりをしました。
今回Sさんがお持ちくださったグッズの紹介は、「時期」を待たなければできないのですが(ごめんなさい!)。とても素敵なものですよ。
それで、Sさんの「技」について話題が飛んだのですが、私が一番すごいなあと思ったのは、Sさんのブリコラージュ的発想です。
例えば皆さん。手芸をするときって、どうします? 手芸本を買ってきて、作りたい作品を選んで、そのための型紙やら何やらを準備して、真似をしながら作るのが普通ですよね?
もちろん最初の段階では、みんなそれを経なければいけないのでしょうが、技術がたくさんあるSさんは、自分の頭で「設計図」をつくって、いろいろなものを作り出してしまうんです。
それで今日、以前お作りいただいた黒板の台(イーゼル)のことに話題が飛んだのですが、私も今日知ったのですが、イーゼルの枠になっている木はなんと、普通のホームセンターで売っている「すのこ」だったそうです。それを枠に使っているので、めちゃ材料費が安かったとか。そしてその「すのこ」の板を、金具で止めて、固定されているわけです。
こういう発想が「ブリコラージュ」です。
レヴィ=ストロースが『野生の思考』で「ブリコラージュ」について述べています。レヴィ=ストロースはインディオに生活を記録することで、彼ら特有の認識の仕方;「具体の科学」にいきついたわけです。それを「第一」科学と名づけたいとも述べているわけです。ちょっと参照してみましょうか。
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原始的科学というより「第一」科学と名づけたいこの種の知識が思考の面でどのようなものであったかを、工作の面でかなりよく理解させてくれる活動形態が、現在のわれわれにも残っている。それはフランス語でふつう「ブリコラージュ」(器用仕事)と呼ばれる仕事である。(略)今日でもやはり、ブリコルール(器用人)とは、くろうととはちがって、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人のことをいう。ところで、神話的思考(注;インディオの思考)の本性は、雑多な要素からなり、かつたくさんあるとはいってもやはり限度のある材料を用いて自分の考えを表現することである。何をする場合であっても、神話的思考はこの材料を使わなければならない。手もとには他の何もないのだから。(略)
ブリコルールは多種多様の仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとは違って、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない。彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのときの限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。(レヴィ=ストロース1976、『野生の思考』みすず書房、22-23頁。)
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なるほどね。
既成のマニュアルや設計図が無くても、目の前にある材料で、自分の目的に合うものを作るということです。そしてこれは、現在の専門分化した思考の方法とは根本的に異なるんですよ。規定の道具がなければ仕事ができない「エンジニア」とは違って。
このようなレヴィ=ストロースのブリコラージュについて、内田樹さんは以下のように書かれています。
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「論理的な人」は使えるものならドライバーだってホッチキスだって料理に使ってしまう人のことである(レヴィ=ストロースはこれを「ブリコラージュ」と称した)。
そのつどの技術的難問に対して、それにもっともふさわしいアプローチを探し出すことができるためには、身のまわりにある、ありとあらゆる「道具」について、「それが潜在的に蔵している、本来の使い方とは違う使い方」につねに配慮していなくてはならない。(内田樹、2003『子どもは判ってくれない』88頁。)
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私は、生きていく上でこういう力が必要だと思うんですよ。
ぽてたさん、あなたの言っている「問題解決能力」って、このようなイメージなのかなあ?
アジールの子どもたちには、こういう力をつけていってあげたいと思うんですよ。
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